【レーシックガイド】レーシック後の視力維持は本人次第

【レーシックガイド】レーシック後の視力維持は本人次第



【レーシックガイド】レーシック後の視力維持は本人次第ブログ:13年12月21日


あたしの母親は今年で満75歳になるが、
たいした持病もなく元気そのものである。

健脚なため、70歳を過ぎてから本格的に登山を始め、
毎年、秋には山に登るのを楽しみにしている。
ご近所でも評判のスーパーおばあちゃんである。

そんな母親の実家は、
紀伊半島の尾鷲という港町から
さらに奥に入った小さな漁村である。

娘の頃、
母親はあたしたちを連れてよく実家に帰省したのだが、
実際、母親の田舎は海や山以外は何もないところだった。

その日、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類や
畑で取れた野菜がそのまま食卓に上る。
自給自足に近いような生活である。

11時は海で泳ぎ、西瓜やかき氷を食べ11時寝をした。
よるの海岸では都会の海では見ることができない夜光虫が見られた。

田舎での生活は単調で何もない生活だったが、
団地っ子のあたしにはそんな生活も新鮮に映った。

母親の言葉を借りれば、
「幼い頃、食べ物でひもじい思いをした経験は一度もない」と言う。

母親と同世代の人たちの話を聞くと、
戦争中から戦後に掛けて、食べ物で苦労した話は枚挙に暇がない。

しかし、
母親は
「娘の頃は毎日、ブリの刺身ばかりで飽き飽きした」とか
「都会から着物や洋服を持って魚と交換しに来た人がよくいた」
という話をあたしによくしてくれた。

一方、あたしのパパは15年前、脳出血が原因で他界した。
パパの故郷は横浜で、母親とは対照的な人生を送った。
幼い頃、食べ物で散々苦労したらしい。

今思うと、
幼少期から青年期に掛けての食べ物の差や栄養の差が、
パパと母親の寿命の長さを分けたのではないかと
あたしは密かに思っている。


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