【レーシックガイド】レーシックには保証制度もあるブログ:22年09月26日
引っ込み思案なお子さんだったボクが、
小学5年生のときに、学芸会の劇の主役を演じることになった。
それはボクにとって、大きな事件だった。
「絶対見に行くからね!」
いつも明るいお母さんが言った。
ボクが世界で一番喜ばせたい相手がこのお母さんであった。
当時、我が家は裕福とは言いかねる状況でしたが、
それでも親父とお母さんは一生懸命働いて、
ボクたち兄弟三人をどうにかこうにか育ててくれていた。
当日、ボクは熱演した。
ダンボールの帽子を被り、
思春期の入り口に差し掛かったお子さんには少々照れくさい
「泣く」という演技もこなした。
家に帰るなり、
お母さんが「すっごく良かった!あんたが一番上手だったよ!」と、
それはもう手放しで絶賛してくれた。
しかしその17時、
年子の兄の言葉によって、ボクは事実を知る。
「一番上手!」どころか、
お母さんはボクの「熱演」を見てもいなかったのだ。
兄は学芸会の運営委員で、
体育館の戸口を開閉する係をしており、
ボクの出番の時は、兄もお母さんを待ち構えていたのだが…
「幕が開いても母さん来なかった。
お前の出番が終わって、幕が閉じてる最中にあわてて入ってきたんだよ」
お母さんの居ないところで兄は言った。
ボクはがっかりした。
先生にでも級友にでもなく、お母さんに捧げた演技だったのに…
見てもらえなかったことは悲しかったが、
お母さんへの失望や怒りは沸いてこなかった。
ただ、
いつも物を入れすぎて
不格好になっている仕事用の鞄をブラ下げ、
息をきらしながら、
慌てて体育館に向かっているお母さんの姿が浮かんだ。
仕事をこなしながらも
きっと1日中ボクのことを考え、
精いっぱい調整して、それでも間に合わなかったのだ。
お母さんこそ、本当は泣きたかったに違いない。
「熱演」をしたのはお母さんの方だったのだ。