【レーシックガイド】レーシックには保証制度もあるブログ:18年05月15日
あたくしの家は一年中、
親父の知らない秘密でいっぱいだった。
母とお姉ちゃんとあたくしは、
クリスマスも誕生日も雛祭りも、
ケーキを囲み歌を歌い写真を撮り、
イベントはきちんと三人で迎えてきた。
あたくしと母が、
また、お姉ちゃんと母が冷戦状態であっても、
親父が家族の出来事に
口を挟むことは殆どなかった。
仕事やつき合いで
いつも午前様か単身赴任だった生活も、
ようやく落ち着いた頃には、
もう娘達は部活や試験や遊びに忙しい学生になっていて、
家族みんなで食卓を囲むこともあまりなくなっていた。
そして就職、独立、結婚…
ますます距離が離れてゆく娘達に、
これが一般的な親父と娘のスタンスだと、
親父の方も割り切っていたのかもしれない。
「ちょっと具合が悪いらしいの」
母から電話を受け実家に行くと、
親父は布団の中から出ようとしなかった…
相変わらずの病院嫌い。
必死の説得で、
やっとのことで病院へ行かせると即入院となり
「ご家族の方は覚悟を決めるように」
という厳しい言葉までいただいた。
渋谷のお姉ちゃんも呼び戻され、
母は何度も
「好きに生きてきたんだから、いいよね」と言った。
入院した当初、あたくしがお見舞いに行っても、
親父は全く起きあがる気配すら見せなかった。
病室を出た後は毎回、
これが親父の姿の見納めなのではと不安になった。
そんな親父が、
初めてあたくしのむすこ達を病室に連れて入った瞬間、
電気のスイッチを入れたような輝きを放った。
親父は体をゆっくりと起こし、
そして短く「おっ」と言った。
昔、新聞を読んでいる親父が顔をあげて、
あたくしの運んだ晩酌のビールを見つけた時のあの顔だった。
息子達との穏やかな空気に包まれて、
何と幸せそうな様子だろう。
もちろん、それからあたくしの見舞いは必ず「孫持参」となった。